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2016年3月

2016年3月11日 (金)

「あれから5年」の件

未曽有の大災害から丸5年が過ぎてまた3月11日を迎えました。

あの直後、私は「化膿性脊椎炎」という病に倒れ、自力歩行ができない状態になって2ヶ月にも及ぶ入院生活を送ることになりました。

当時、私が在住していたトマコマイは余震を激しく体感できるような土地柄です。
深夜に大きな余震があると、自力で起き上がることもできない病状だった私は、
「これ以上揺れが激しくなったら、このまま人生が終わるのかも」

という恐怖感を何度となく味わいました。
体を動かすことさえできない程の痛みに襲われていた私は、「自分は歩けるようになるのだろうか・・・」という不安が付きまとう毎日でしたが、「暖房が効いた暖かい部屋で布団をかけていること」そして何よりも「生きていること」にもっと感謝しなければならないことに気付いていました。

そんな5年前の今頃を思い出しつつ、セットしていた携帯電話のアラームが鳴った今日午後2時46分、私は毎年そうしているように、黙って自席を離れて誰もいない会議室に向かい、東北の空に向かって黙祷を捧げました。

今月末の「土屋館わいわい広場」にも、被災地の閖上港の方々がたくさんの海産物を持ってやって来るそうです。引っ越し先がまだ落ち着かない状態だとしても私、またタラコや筋子の販売を手伝いに行こうかと・・・。

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2016年3月10日 (木)

「生誕79周年記念」の件

3月10日、父親の誕生日です。

今年、彼は満79歳になりました。

昔は私にとって彼は「窮屈な存在」に思えた時期もありましたが、今はイイ感じの爺さんになっている訳で・・・。

と言う訳で、今年の誕生日には「祝・生誕79周年」という言葉を添えていつものように焼酎を贈りました。家族で連名にした「熨斗紙」には、彼と仲良しの我が家の愛犬・OREOの名前ももちろん連ねて・・・happy01
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昔、私が小学生だった頃にキャッチャーミットを着けさせて、全力でピッチングするというキャッチボールbaseballをしていた体育教師だった彼に、パンチングミットを着けてもらって私の左ストレートpunchと右フックpunchを受けてもらうことが私の小さな小さな「夢」なんすけどね・・・coldsweats01

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2016年3月 6日 (日)

クマガヤを離れることになった件

一昨日3月4日、カイシャの中では時節柄「異動内示」があったんですよね。
悪性リンパ腫という「運命」を背負って生きている私、

・診断確定時の病期は「StageⅢ」
・医学的統計上、発症時の「5年生存率」は50~70%
・「完治」はなく、再発可能性が極めて高いタイプの病

等々、思い当たる理屈を並べるだけ並べて「自宅のある秋田県に一歩でも近い場所での勤務」を希望していたんです。

既にFacebookには投稿しておりますが、私、新年度は山形で勤務することを命ぜられました。本当にありがたいですね。これからのカイシャ生活、自分にできる「カイシャへの恩返し」をしていかなきゃならないでしょね。

私がこよなく愛する故郷・秋田県の隣の山形県に赴任することを「喜んでくれるだろうな」と私が勝手に予想していた私の家族、そして「愛する我が故郷・秋田県大曲」の仲間達は予想通り喜んでくれました。

そして一方、私がクマガヤを離れることを「残念に思ってくれるだろうな」と私が勝手に予想していたビクトリージムの練習仲間達は予想通り残念がってくれ、早速送別会の日取りを決めてくれました。

どちらも「自分は幸せな男だ」と実感できる反応でした。
クマガヤでの生活は残り僅か18日間。
自分も周りもハッピーになれるようにしなきゃならないですね・・・。

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旅立った「不死鳥」

3月4日、この方からのLINEメッセージに私は思わず「えぇっ!?」と声を出して驚いてしまいました。

「シンガーソングプロレスラー」、ハヤブサ選手が亡くなられたという知らせでした。

「FIGHTING AID」のテーマソング、「NEXT STAGE」を作ってくださった方です。

2011年、私が「化膿性脊椎炎」で入院していた頃、私はこの曲に勇気や希望をもらい、そして自分自身を奮い立たせて闘病しておりました。
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2010年5月8日に開催された「FIGHTING AID」の打ち上げ会場で、私は同じ1968年生まれのハヤブサ選手と言葉を交わさせていただきました。

私が大学1年生の夏休みだったでしょうか。私の故郷である秋田県大曲でFMWの興行があった時に、リングの撤収作業をしていたまだ素顔の新人、江崎英治選手の姿が印象的だったというお話をさせていただいた記憶があります。

今私が描いている「青写真」でも当然、彼は欠かせない存在として考えておりましたが、それは叶わなくなってしまいました。

大空に羽ばたいて旅立った「不死鳥」ハヤブサ選手のご冥福をお祈り申し上げます。
 

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2016年3月 5日 (土)

コーフに向かう途中で寄り道した件

私がコーフに居た2年間、同じショクバでシゴトしていた若者が4月から大阪に転勤だというので、当時一緒にいたもう一人の若者と共にコーフに向かい、三人で食事したりお茶したり・・・。この週末は、そんな時間を過ごしておりました。

本当は、割烹くしだで鮭fishの塩焼き定食を食べようsign03って話にはなっていたのですが、私が行き当たりバッタリで途中寄り道した為に、「割烹くしだ」のランチ営業時間には間に合わず・・・。
私、二人の若者に平謝りでした・・・coldsweats01
私の行き当たりバッタリで寄り道した先は、山梨市にある慶徳寺

私が昔憧れた、山梨の英雄が眠るお墓があるお寺です。
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晩年、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスで非常勤講師として教鞭を執られていた鶴田さんは、體育會レスリング部とも接点を持ってくださっておりました。
「人生はチャレンジだsign03

冷静に考えたら私の人生も折り返し地点をとうに過ぎています。悪性リンパ腫を乗り越えての「チャレンジ」、動かしてみようと決意を新たにしたのでした。

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