心に響いた曲の件
先日、クマガヤ市内の妻沼中央公民館大ホールで行われた森圭一郎さんのライブに出かけた私、彼の「魂の叫び」とも言える曲を聴く中で、とっても心に響く曲がありました。
彼は今から約20年前、16歳の時のバイク事故がきっかけで一生車椅子での生活を余儀なくされました。自力で歩くことができない人生を送ることになったのです。
でも、彼は音楽に情熱を注ぐことで自己表現して「音楽で歩いて」います。ライブのMCでも、そして全国各地での講演の場でも、彼は「車椅子生活になった今の方が楽しい」という意味のことを自信をもって強く語っています。
先日の妻沼でのライブの一曲目、残念ながら曲名を私は記憶していませんが、この曲の歌詞がとても印象的でした。正確には憶えていませんが、
「今目の前に橋があって、その橋を渡ってあの頃に戻れるとしても僕は渡らない。何故ならば、今の人生が楽しいから」
そんな意味の歌詞だったと思います。
彼の場合は、高校生の頃に「ヤンチャ」したという、今の人生の「原因」が明確なんですよね。「原因」が明確であっても、後悔していない強い心、脱帽です。
私自身、2年前に「悪性リンパ腫」(診断確定時、stageⅢ)が発症しましたが「原因」は判りません。だから「後悔」のしようもないので、私はこの病と向き合うことになったことを「後悔」なんてできないし、していません。
医学的な統計上、診断確定時のstageⅢの濾胞性リンパ腫(=非ホジキンリンパ腫)の5年生存率が50~70%だとしても、つまりは今から3年後に私が生きている確率が50~70%だとしても、私は一ミリも悲観的な感覚はないし、逆に自分の人生の密度を思いっ切り「濃く」して生きてやろうと思う訳ですね。
しかも私は普通の生活ができるんです。普通にカイシャ勤めができているんです。「血液ががんに侵されている人間」にはとても見えない程、見た目は屈強です。格闘技の練習にも打ち込むことができるんです。
そんなふうに、自分自身の現状を顧みて、森圭一郎さんの「魂の叫び」を聴いた今、もっともっと「強く生きなきゃいけない」「濃厚な人生を創り上げなきゃいけない」そんな気持ちを新たにした訳ですね。
私自身、2年前に「悪性リンパ腫」(診断確定時、stageⅢ)が発症しましたが「原因」は判りません。だから「後悔」のしようもないので、私はこの病と向き合うことになったことを「後悔」なんてできないし、していません。
医学的な統計上、診断確定時のstageⅢの濾胞性リンパ腫(=非ホジキンリンパ腫)の5年生存率が50~70%だとしても、つまりは今から3年後に私が生きている確率が50~70%だとしても、私は一ミリも悲観的な感覚はないし、逆に自分の人生の密度を思いっ切り「濃く」して生きてやろうと思う訳ですね。
しかも私は普通の生活ができるんです。普通にカイシャ勤めができているんです。「血液ががんに侵されている人間」にはとても見えない程、見た目は屈強です。格闘技の練習にも打ち込むことができるんです。
そんなふうに、自分自身の現状を顧みて、森圭一郎さんの「魂の叫び」を聴いた今、もっともっと「強く生きなきゃいけない」「濃厚な人生を創り上げなきゃいけない」そんな気持ちを新たにした訳ですね。
「せっかくがんになったのだから」と病を「生きてくチカラ」に変換できることこそが「cancer gift」そのものです。誰でも簡単に手にすることができない「贈り物」を、私は真剣に大事にしなければならないですね。
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