秋田弁滅亡の危機!?の件
私、完璧な「バイリンガル」なんです、はい。「標準的日本語」と「秋田弁」の。
そりゃこの世に生まれてから高校卒業して秋田県を離れるまでの19年近い年月、毎日毎日「バリバリのネィティブ秋田弁」を聞き続け、そしてしゃべり続けていたら否応なしに体に染み付く訳ですよ、「秋田弁」が。
「秋田弁」という言語は、単語そのもの、発音、アクセント、イントネーション、どれを取っても、全く「秋田弁」を知らない人が聞いたら、まるで外国語に聞こえること間違いありません。
秋田県在住歴3年目になる「パン職人」は、様々な場面で年配の方の「超ド級のネィティブ秋田弁」に触れる場面があり、「会話が成立しない」という惨事を経験することもしばしばあったようです。
県外出身者にとっては、もはや「外国語」である「秋田弁」ですが、私にとっての愛すべき「母国語」であるこの「秋田弁」に、最近ある種の「危機感」を私は覚えているのです。
私の子ども達、JoeもAnnaも二人とも「秋田弁」を話しません。というか、話せません。
2年前に秋田県に「移住」して、家には「秋田弁」を話せない母親がいるのですから、彼らが「秋田弁」を話すことができないのは無理もないと思うのですが・・・
数ヶ月前、私がJoeの卓球の練習試合の会場に彼を迎えに行った際、彼のチームメイト4人も一緒に車に乗せて大曲に向かう車中、彼らは一人も「秋田弁」を話していなかったのです。
JoeやAnnaに聞くところによると、小学校でも中学校でも、今や「秋田弁」を話す児童や生徒は殆どいないそうです。
私が小・中学生の頃は、「秋田弁」圏外もしくは「東北弁」圏外からの転入生はともかく、秋田県に生まれ育った子ども達はほぼ全員「秋田弁」を話すことが「当たり前」の世界でした。
そして、高校卒業後に関東地方に進学したり、就職したりして「都会の空気」に触れたからって、同級生が皆で集まるような場面で「標準語」を使って会話しようものなら、
「あれなば、おぢまげでやざねっけなゃ」
(あいつは、カッコつけやがってダメだったよね)
と、後々「糾弾の標的」となるのが常でした。
それが今となっては、誰も「おぢまげで」(カッコつけて)いる訳ではないのに、学校生活における日常会話が「標準語」が当たり前になってしまっているのが現実。その背景には、「ネイティブな秋田弁」を話すおじいちゃん、おばあちゃんと同居している家庭が少なくなっているという社会的構造があるのでしょう。
先日、私が「愛する我が故郷・秋田県大曲」に帰郷し、「花屋の若旦那」のもとを訪れた際にも、この現実が話題にのぼったのですが、我々はそこで
「こぇだば、秋田弁ねぐなってしまうんでねべが」
(これじゃあ秋田弁は滅亡しちゃうんじゃないだろうか)
という危機感を強く、強く抱いたのでした
そんな訳で、秋田県在住歴3年目の「パン職人」も「秋田県への移住者」という立場から「秋田弁」の面白さや興味深さを色々な角度から書き綴っておりますが、今後私も「秋田弁のネィティブスピーカー」という立場から折に触れて「秋田弁」の魅力を紹介していこうと考えております。
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