退院後、病気に対する考え方が変わりつつある件④
「闘病」ってなんだろう?って自分が強く感じ始めているのに、記事の「カテゴリー」は何故か「闘病生活」になってしまってますね…。
さて、このブログを読んでくださっている方々の多くは、私という人物を直接ご存知の方だとは思うんです。私を直接ご存知の方が読んでくだされば、文字に表されている以上の私の「想い」をご理解くださっている方も多いような気がします。
そんな中で今日、故郷のとある同級生から昨日の記事についてご指摘をいただきました。
「残りの人生」じゃなくて「これからの人生」だろ!
と。
確かにその通りなんですよね。この病気に直面していて、私は少しも「悲観的な気持ちはない」のですが、同じことを表現するにしても「残りの」と「これからの」では、意味がまったく違いますよね。
「残りの」という表現をしたことに、私の心のどこかで「悲観的」もしくは「否定的」な考えがあったのかも知れませんね…。
それはさておき、私が「出稼ぎ先」に戻って来る日の二日前、先月の26日に「大曲昭和43年会」の仲間が私の為に「激励会」を催してくれた際に、一応形だけ「スピーチ」する機会をいただいたんです。
その時、私はその前日に甲府から大曲に向かう電車の中で巡らしていた自分の想いを少し述べました。
「治療を終えたとしても、その先は再発や他の臓器への転移の可能性も残される。だとしたら、これから20年間を全力で生きようと思う。今から65歳まで生きることができたら、同級生の皆と還暦の祝いもできる。会社に定年までいたら、65歳までは残り5年しかない。だったらやっぱり住宅ローンを返済したら定年まで会社なんかにいないで、さっさと大曲に帰って来て、皆と大曲を元気な街にして行きたい」
そんな意味のことでした。
正直言って、「これからの人生」の期間として設定した「20年間」には何の根拠もありません。本当に「感覚的」な数字なんです。「濾胞性リンパ腫」の生存率、諸説ありますが、もしかしたら「20年間」なんていう楽観的な数字ではなく、「10年間」かも知れません。
それでもいいんです。とにかく「自分の目標」としての「これからの20年間」だと考えればいいんです。
「20年間」という「期限」とか「〆切」を設定したら、あとは毎日を「全力」で生きて「全力」で楽しむといいんですよね。私がこれまでに何度か使っている表現、「生きることに貪欲になる」ってこういうことなんでしょうかね。
そして、これは例の「鉄人」「絶対王者」と呼ばれた人物の「引退試合」の実況からの引用ではありますが、
「諦めないこと、一生懸命生きること、本当の強さとは何か」
を私の人生に関わってくれたすべての人に、自分なりに伝えたいと強く思います。
こういうことって、なかなか人には伝わらないことかも知れないんですよね。でも、少なくとも私は自分の家族には絶対に伝わると信じているんです。
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コメント
Rayさま
「残りの人生じゃなくてこれからの人生だろ」という、友からの指摘に私は「ハッ」としました。
この言葉に共感いただけて嬉しいです。明日はイチバンの「輝き」を放って、人生をenjoyしている姿を見せて来てください。
投稿: joesdad34 | 2013年10月12日 (土) 00時04分
半世紀近く生きると、「残りの人生」って言ってしまいがちですが、「これからの人生」いいですね。
明日は高校卒業後初めての同窓会出席です。自己紹介では「これからの人生」と言わせて頂こうと思います
投稿: Ray | 2013年10月11日 (金) 22時39分