母親
「試合するのはこれで最後にしたら?」
先日、「FIGHTING AID in 大館」参戦の為に「愛する我が故郷・秋田県大曲」に向かう前日の夜に大曲の実家の母親と電話で会話をした時に彼女はそう言いました。
一昨年、二ヶ月半にも渡る入院生活を送り、体調が100%回復していないのにリングに向かおうとしている44歳の息子を思えば、彼女のその言葉は極めて自然だと思います。
試合前日、私の自宅で夕食を共にした際には殆ど試合の話題は出ませんでした。というか、私は試合の話題を出さないように努めていました。両親、特に母親には余計な心配をかけたくなかったからです。
試合当日、愛犬OREOを実家に預けて大館の会場に向かう際に母親は私に言いました。
「頑張って来い!」
と。心配な気持ちをかき消すようにわざと威勢よく声をかけてくれたようにも聞こえました。
試合翌日、愛犬OREOを実家に迎えに行った時に母親は言いました。
「試合が始まる頃の時間に仏壇の前で手を合わせていたよ」
と。親が子を思う気持ちとしては、極めて正常な感覚だと思います。
その日の夕方、出稼ぎ先のトマコマイに私が到着した頃に母親からメールが来ました。
「まだ試合に出る気持ち?そろそろ引退して立場を変えたらいいんじゃないの?親としては心配」
と。すぐに返信したメールで私はこう伝えました。
「サラリーマンになると仕事以外のことに情熱を持ってもその情熱を燃やせる人って、あんまりいなくなる。でも、あなたの息子はそんなつまらないサラリーマンじゃないです。」
「昨日リングに立ったら、体は完全に元通りに戻りました。これから試合の声かかることがあるかどうかはわからないけど、いつでも試合出れるようなコンディション作るための生活は続けるよ。そんな姿を家族も望んでいるから」
例の「ROCKY THE FINAL」の中に出てきたようなセリフも少々入っていますが、自然に自分の言葉としてメールの文字になりました。
母親には心配かけたくないけど、「自分らしさ」を失わずに生きることが自分なりの親孝行だと信じて、私はもう少しリングに執着しようと思っています。
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