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2013年1月19日 (土)

「疲れたことがない」の本当の意味

土曜日朝。軽い朝食を摂った後、水道管の解凍作業の業者の方々がまるで「ガサ入れ」のように私の部屋へ。お陰様で無事に浴室やトイレの水周りの水道管の凍結問題は解決しました。

そこでホッとしながらも、午前中のトレーニングを開始。

メニューは、短時間で大胸筋への刺激を与えた後のランニングです。

ランニングで向かった先は、シャタクから約3km離れたカイシャ。ランニング中のBGMはFUKUYAMA MASAHARUのアップテンポなナンバーシリーズで

カイシャへ到着して、管理人さんに一応許可を得てからカイシャのビルの階段を1階から7階までのダッシュを往復3セット。本当は10セットぐらいやろうという意気込みで行ったのですが、情けないことに3セット。

3セットの階段ダッシュ往復で、腿はパンパンになって息も上がってしまったところで、一瞬私の脳裏に「疲れた」という言葉が過りそうになりましたが…

「あ、オレは疲れたことがないんだった

と気を取り直しました。

先月以来、殆ど思いつきというか感覚的に「疲れたことがない」という言葉を面白がって多用していた私、今日カイシャの階段ダッシュで「疲れたことがない」という言葉の本当の意味を悟った気がしました。

階段ダッシュにより私は「疲れた」のではなく、「脚力や心肺機能のレベルアップに確実に効果が得られたトレーニングができた」のです。

人は後ろを振り返ったり、今その瞬間のことしか考えないから「疲れた」という言葉を吐いてしまうのです。常に顔を上げて前を向いて先のことだけを考えたら、疲れている暇なんかないのです。だから「疲れた」という感覚は「錯覚」なんです。

肉体的にも精神的にも「疲れた」という「錯覚」を起こしそうになっている時は、すべてその先に得られる成功や達成感へのプロセスの真っただ中なのです。

という勝手な解釈ができて頭がスッキリしている私、これから午後の練習に行ってまいります

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コメント

Rayさま

何事も前向きに解釈する思考、体にいいような気がします。毎日毎日、そんな発想を見つけて生きてみたいと思います

投稿: joesdad34 | 2013年1月22日 (火) 07時52分

素晴らしい解釈に私もすっきりさせて頂きました!
行ったり来たりがめんどう・・・ではなく、
「良いトレーニングになる」ですね(^^)

投稿: Ray | 2013年1月19日 (土) 23時09分

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